50年前の今日9月3日は、エールフランスがA300のローンチカスタマーになった日となります。(1970年9月3日)
2022年時点では、日本国内においてA300に搭乗する機会は無く、成田国際空港にて貨物機として運行される機体を見かけることができればラッキーという状況です。今回のテーマは、今では珍しいA300がどのような機体なのか解説します。ポイントは以下の3点です。
- エアバスが最初に開発した旅客機
- 世界初の双発ワイドボディ機
- 現在運航されている機体のほとんどは貨物機
まずは、”エアバスが最初に開発した旅客機”について解説します。開発が行われた1960年代は、米国の三大航空機メーカーであるボーイングがB747、通称ジャンボジェットを開発し、ダグラスがDC-10を開発し、ロッキードがトライスターを開発している状況で、欧州勢は米国に後れを取っていました。当時、欧州に存在した航空機メーカーでは中~大型旅客機を開発した実績がなかったことで、1社単独での開発を断念し、欧州各国の航空機メーカーが企業連合という形で中型機の開発を行うことになりました。その構想の第一弾がA300の原型となります。1970年によるエールフランスの発注し、1972年10月28日に初飛行を行いました。その後、数十年にわたり派生型の生産も行われ、累計567機が生産されました。
続いて、”世界初の双発ワイドボディ機”について解説します。1970年代はエンジンの信頼性が高くなく、かつ高出力エンジンが登場する前の時代だったことから、中~大型旅客機は3発~4発のエンジンを持つことが一般的でした。具体的には、4発エンジンを搭載したB747、3発エンジンを搭載したDC-10やトライスターが主流でした。そのマーケットにA300が切り込んだのです。
販売当初は販売に苦戦します。理由として、欧州域内での運行を想定したことから航続距離が1,500キロと短いことが一つ上げられます。1,500キロというのは東京から北海道の最北端の宗谷岬までとなり、那覇には届きません。そのため、エアラインの意見を取り入れながら航続距離延長型を開発しました。その後、エアバスは販売と運航実績を積み重ね、販売も軌道に乗せることができました。
開発においては胴体径を外径5.64メートルの真円形としたことで、乗客と貨物の搭載量最大化に貢献しています。その後開発されたA330とA340にもこの胴体が流用されました。
最後に、”現在運航されている機体のほとんどは貨物機”について解説します。A300は初就航から40年以上が経過し、旅客型から貨物型へ改修された機体が多くありました。現在A300を運行するエアラインはUPS、FedExが上位を占めています。現在、日本国内で運行するエアラインはありませんが、かつてはJAL(合併前のJASが導入)も運行していました。
エアバスが最初に開発した旅客機のDNAはしっかりと新たなエアバス機に受け継がれていることでしょう。